硝子の瞳と猫と

心温まる事 癒してくれるもの 綴っていきたいな

当主のプレッシャー

ある晩 母は夢を見た

見知らぬ湖の畔に 一人たたずんでいる夢

浅瀬に足を浸していると 突然片方の足首を捕まれた

驚いて 掴んでいる手を振り払おうと

足をバタつかせながら 後退する

水の中から 這い出て来る人の顔を見て 仰天した

夫の親戚にあたる 叔父さんだったからだ

 

「助かった...」

目を覚まして そう安堵する程 生々しい夢だった

ただ 叔父さんに酷いことをした憶えがないので 

母は 納得がいかなかった

 

私の父方の祖父は 山や畑を広く所有する

地主の一人息子だった

若くして当主となり  妻をめとり男の子も授かった

 

ある年 土地家屋全てを 親戚に売り払い 

そのお金を持って 九州で炭鉱事業をすると 

単身故郷を後にした

 

幼子は 大伯父に預け 妻とは離縁した

女一人が幼子を抱えて 生きていくには

大変な時代ではあった

 

でも 何故一緒に連れて行かなかったか

「あいつは人が良すぎて 炭坑夫達をまとめる力量が無い」

それが 母子を引き裂いた理由だった

しかし 抗うことをせず 流されるままに生きた祖母は

晩年 私達家族と暮らしたが

愚痴や悪口を口にしたことがない

信心深く 真に我慢強い人だった

 

祖父の炭鉱事業は当たった 

後妻さんは気の強いやり手の女性で 

娘 二人に恵まれ

羽振りの良い生活を送っていたようだ

故郷の寺に多額の寄進をし

残してきた一人息子の 結婚式の費用も負担した

お金は出しても 全く顔を出さなかった舅を

母は変わった人だと 思ったようだ

 

景気の良かった炭鉱事業が傾き

祖父は 大きな借財を抱えた時

妻子を置きざりにして 自分一人で逃げ出した

残された家族が 大変な苦労を強いられた事は 

想像に難くない

話し合いの末 父は異腹の妹二人を 広島に呼び寄せた



怖い夢を見て しばらく後 

母は戸籍が必要になり 役場に出向き

そこで失踪中の 舅の死亡届けが

出されていた事を知った

九州にある 老人施設で亡くなり 

遺体は大学病院の献体に 出されていた

 

あの夢の中で 自分の足を掴んだのは  叔父さんではなく 

終生 顔を会わせたことがない舅だったのだと 

母はようやく 合点がいった

 

実は同じ頃 父も夢を見ていた

血塗れの父親が いきなり部屋に入って来て 

胸ぐらを掴み 何か怒っていたという

 

私に言わせれば「なんて自分勝手な野郎だ」と

どつき倒したいくらいだ

写真一枚残っていないので 私も祖父の顔を知らないけれど

 

大学病院から 祖父が荼毘に付されたという封書が届き

九州に住む後妻さんに  遺骨の引き取りをお願いしたいと 

母が電話をかけたが 頑として拒否された

辛酸を舐めさせられた 相手の遺骨など

受け取りたくもないのは 当然のことだろう

結局 後妻さんの妹が足を運んでくれた

 

後年 父が産まれた屋敷跡地に墓を建てた

 

今 祖父は同じ墓の中で 先妻と後妻と一緒に眠る

一人息子と その嫁と 家の後嗣も後入りした

残された私は「どうしたものか」と 

墓じまいに悩んでいる

 

にわか当主には 実に荷が重い