硝子の瞳と猫と

心温まる事 癒してくれるもの 綴っていきたいな

母とは なんと悲しいものか

その日 投稿記事の参考にしようと

本棚から 一冊の本を抜き出した

ページをめくっていたら

新聞の切り抜きが 挟んであった

 

朝日新聞「声」に 掲載されたものだろう

私の目にも バス停からしょんぼりと引き返す

母親の姿が浮かび

切ない話だと 思った

 

何故この切り抜きが 本に挟んであったのか

不可解な思いで 再読している途中で

はっと 思い出した

「これは私の母のことだ」

 

父が亡くなった2年後に

同居していた独り身の兄が 亡くなり

80代の母は 一人暮らしになった

 

ご近所の方が 惣菜やお菓子を持って

親戚の方は 取立ての野菜を車に積んで

時折 訪ねて来て下さった

 

訪問介護をしている 従姉妹は

時間とやる事に 縛りがなく

自由に出来るからと

ヘルパー契約を 固辞して

仕事の合間に 母の様子を見に寄ってくれていた

 

 

県外に住む私は

月に一度 週末に帰省した

母と丸一日 一緒に過ごす為

必要な買い物以外の 外出は控えた

 

短い時間でも 一緒に居ると気が付く

私が毎日かける 安否確認の電話で

母が話す 身の回りの話は

娘に心配をかけない為の 優しい嘘が

織り混ぜて有ることに

沢山の人に助けて頂いていることに

 

最終日 帰り支度を済ませ

膝に不安を抱えた母に

「もう ここでいいよ」と

玄関で別れを告げるが

旗竿地に建つ 実家から

家一軒分 細い路地を抜け

必ず道路まで 付いてきて

緩い上り坂を歩き始めた私に 手を振る

私は曲がり角で振り向いて もう一度

母に大きく手を振って 別れを告げる

 

あの新聞の投稿文は その頃に切り抜いたものだ

帰省のフェリーで 読んでいた文庫本に 挟んだのは

「母の淋しさを 忘れない」為だった

 

周囲の人達に助けられ いつも感謝の言葉を

口にしていた母は 4年前に亡くなった 

 

 

私も母の淋しさを 身をもって知る日も

そう遠くはないだろう