硝子の瞳と猫と

心温まる事 癒してくれるもの 綴っていきたいな

ふるさとの訛り懐かし

「広島の人が普通に会話してても まるでケンカしているように聞こえる」

そう言ったのはお義姉さん 

私が愛媛に引っ越して来て しばらく経った頃だった

『そうかぁ 他所の人にはそう聞こえるんだ』 

ヤクザ映画の影響かしらと 思ったけれど 少しも腹は立たなかった 

義姉と義母の会話や 職場のロッカールームで交わされる同僚達のおしゃべりを聞いて 

「なんて柔らかな雰囲気なんだろう」と 伊予弁に感心していたから 

 

昔 広島で働いていた時 談笑中の上司が顔をしかめて言った

「昨日 妻と娘が広島弁で会話してるのを聞いてゾッとした」 

これにはムッとした 御当人は名古屋出身 

語尾に「みゃー」とか「りゃー」というイメージしかないが

広島弁をそしられる」覚えもない 

後に 大阪に転勤されたから 

今度は「昨日 妻と娘が関西弁で会話してるのを聞いたら 漫才してるみたいだった」

と笑ったかしら 

 

所変われば 語尾も変わる 

山口市にいた頃 耳にしたのは 語尾が「そー」 「やるっそー」 

下関出身の人は「ほー」になる 「やるっほー」「行くっほー」「ほーほー」

『...フクロウみたいやな』 心の中で突っ込みを入れた 

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愛媛の語尾は「わい」

『男言葉みたい』当初は違和感を感じていたが 今ではすっかり 馴染んでしまった 

先一昨年 広島に帰省した際 十数年振りに学生時代の友人と ランチを楽しんだ  

直ぐにあの頃に戻って 話が弾む 

会話の途中 私が「じゃあ 分かったらメールしょーわい(するわ)」と 言うと

「わ・ い?」友人二人が 怪訝な顔と口調をシンクロさせて

此方を見たのが 可笑しかった 

その時 初めて気が付いた 

故郷の友と会話をしても 私はもう広島弁に戻らなくなっていた

 

いつからだろう 

高齢で一人暮らしの母に 安否確認の電話を 毎日していたが 

思えばあの時も 私は伊予弁で話をしていた 

娘が生まれ育った地の方言で 会話しなくなった事を 母は淋しく感じていただろうか 

 

訛りを懐かしむ石川啄木の短歌は あまりに有名だが 

彼と同郷の 寺岡修司さんの短歌

「ふるさとの訛りなくせし友といて モカ珈琲はかくまで苦し」 

こちらも故郷への 強い愛着を感じられる 

 

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誰だってふるさと訛りを 忘れたりはしない 

それでも 「離れている時間」が「ふるさとで過ごした時間」を

遥かに追い越したとき

私は 本当の「訛りなくせし友」に なるのかもしれない