硝子の瞳と猫と

心温まる事 癒してくれるもの 綴っていきたいな

子供の命名

今年も又 落選した 「レディースカープ ファンクラブ」

毎年5000人を募集して 多ければ抽選となる 会員期間は1年間

私が前回当選したのは 2012年

「お客様の御希望に添えない結果となりました」

もう10年間も そんなメールを受け取っている 

どんだけ くじ運が悪いんだろう 

その時ふと 思い出した むかしむかしの「くじ運」のお話 

 

昼休みのオフィス 母親からの電話で怒っていた同僚に どうしたのかと訊ねたら

昼前自宅に届いた 懸賞の当選賞品を 兄嫁に持ち帰らせたという 

宛名が甥の名前になっていたからだ 

 

同僚のMさんは 懸賞によく応募していた 

当時は葉書が主流 一つの希望賞品に複数枚送るので 

自分の名前以外に 家族の名前も使用していたのだ 

ところが 当選するのは ほとんど甥っ子兄弟の兄の名前で 

最初は看過していた母親が「人の名前を利用するのは良くない」と

賞品が届く度に 近所に住む兄嫁に連絡するようになった 

兄嫁も兄嫁で 賞品は子供の為の物ではないと分かっていても

「いつも応募してくれて有り難う」と さっさと持ち帰るらしい 

 

「葉書を出しているのは 私なのに」と 同僚は憤懣やる方無い 

「甥子さんは 随分くじ運の良い名前なんだね」と 私が感心していると 

「著名な先生に 名付けして貰ったからね」と言う

 

兄夫婦に長男が産まれた時 わざわざ遠方まで足を運び 命名して貰った 

40年前の話で 謝礼は10万円 

「弟さんの方は当たらないの?」不思議に思って聞くと 

歳の近い次男が産まれた時も 兄はその先生を訪ねて行ったものの 

生憎 出張中で会えず

出直すのを諦め お弟子さんに命名して貰った 謝礼は5万円 

師弟の差が「くじ運」の差になったのかしら 

 

赤子の未来予想図を その師弟がどのように描いたのかは 知る由もない

兄は 優等生で手がかからず 両親と祖父母から可愛がられていた 

弟は 直情径行でやんちゃ坊主 

祖父母の家に行くと  ソファーで跳びはね物を壊したり 

体格が良くて 喧嘩で兄を泣かせて いつも叱られていた 

「でもね 私は弟の方が可愛いの」 

 

お誕生日やクリスマスに プレゼントを渡すと 

兄は「ありがとう」とお礼は言うものの 贈られた物には淡白なように思える 

一方弟は 全身で喜びを現し それが絵本だったら 

「読んで!」と 眼を輝かせて 膝に乗って来る 

贈り物を枕元まで持って行く程 大切にしてくれる無邪気な末っ子 

「だから私は 弟の味方をしてやるの」

 

私が退職してから 長い間彼女とは年賀状の近状報告だけになった 

一昨年 久しぶりに電話で話し「お互い歳を取ったね」と言いながらも 

昔と変わらない 明るくはつらつとした 彼女の声が懐かしかった 

 

独身の彼女は 両親の介護で苦労の末 二人を看取り

今も 実家で一人暮らしをしている 

多忙を理由に 介護の手助けをしてくれなかった義姉に代わり 

甥の弟君が 度々訪ねてくれたそうだ 

今は家族を持つ弟君が Mさんの頼もしい味方になってくれている 

 

他の人からも 命名について聞いた事があった

長男は 「次の戸主として家の継承と繁栄」 次男は「兄と生涯良好な関係でいる」

婚家は農家の人だったが 名前の由来を子供達が聞いたら

ちょっと ガッカリしないかな

 

それでも 子供の命名は プロに頼もうと親自身で考えようと 願いは同じに違いない 

「我が子が幸せであれ」

それは いつの時代も変わらない 切なる願いだ