「旧家蔵出し 初出し」オークションで骨董品を出品するときの謳い文句
蔵は温度・湿度の変化が少なく光も当たらない
大切な物を保管するには最適な場所 お人形も例外ではない
「RETROSPECTIVE 」=AMANO KATAN = photographs YOSHIDA RYO
私の好きな人形作家 天野可淡さん(1990年事故により37歳で逝去)のエッセー
「解﹙ホド﹚かれたガラスのリボン」から
神から死を禁止され 夢を裏切らない代償に死を神に捧げた人形
片や人間は 裏切りの無い 安心の中での愛に欠伸をし 愛するだけの一方的な愛にいつしか疲れ その対象を置き去りにする
そうしてお人形達は忘れ去られ 蔵の中に捨てられる
それは彼女達にとって死よりも恐ろしい出来事
可淡さんは人間のエゴと移り気を愁い 自分が世に出したお人形に向けてこう綴った
「そんな悲劇が起こることの無いように、私はあえて彼女たちのガラスのリボンを解きます。
人に愛されるだけの人形ではなく、人を愛する事のできる人形に。
常に話しかけ、耳をかたむけ、時には人の心に謎をかける人形に。
注意深く、彼女のガラスのリボンを解くのです。それが私の仕事だから。」
「KATAN DOLL 」=fantasm = photographs YOSHIDA RYO
可淡さんの人形に対する思いに私は共鳴し それは胸に深く沁みた
「一緒に外出し 月見や花見をする」「話しかけ 髪を梳き 時には抱き締める」
傷みやすい古いお人形ではあるが そんな風に接していいのだと嬉しかった
私にとって お人形は唯唯愛すべき者なのだ
一方で希少なお人形を大切に保管管理して 永く後世に残す努力をする人も居る
これも又 人形に対する深い愛情と理解があればこそ出来る事である
「RETROSPECTIVE」=AMANO KATAN = photographs YOSHIDA RYO
人形は「遊び道具」 本来「道具」として生み出された作品が高い評価を受けると それは「美術・芸術品」となる
例えば人間国宝作の市松人形 目が飛び出るような値段の茶器 重要文化財の壺
作家が迷い苦しみながら創り出した傑作が 観賞する為だけに美術館に展示され
多くの人の目にふれ 名品として後世まで語り継がれる
同じ作家の傑作が 一人の所有者に渡りお気に入りの道具として 大切に扱われる
温かな手に包まれ 道具本来の使われ方をし やがては壊れ ひっそりと消えていく
物を創り出す人に問うてみたい
自分の作品の行く末としてどちらを「作家冥利に尽きる」と感じるのだろうか
可淡さんの娘さんのエッセーで 「母は常々『人形は土に帰る方がいい』(死を与えたい)と話していました」とある
だから あえて壊れる素材で制作していたという
形有るものはいつかは壊れる それは諸行無常に通ずる
もしかしたら作者の死生観なのかもしれない
「KATAN DOLL 」=fantasm = photographs YOSHIDA RYO