硝子の瞳と猫と

心温まる事 癒してくれるもの 綴っていきたいな

当たり前の幸せ

1999年 ノストラダムスの大予言が話題になっていた年 私は気になる症状が出て(下痢、血便)近くの病院を受診した 

投薬でも改善せず その後 内視鏡検査を受けた 

友人から聞かされた話より ずいぶんと短時間で終了し ホッとして診察室に入ると 

医師から大きな総合病院の名前を告げられ そちらで受診するようにと 外科医の名前が書かれた茶封筒を渡された 

仕事が...と言い淀んだ時 「早い方がいい」医師は念押しするように勧めた 

 

街中の大きな病院だからと 早めに出掛けたものの 紹介状があっても予約のない初診なので 長時間待たされた 

検査も加わって 名前を呼ばれた時は昼はとうに過ぎていた 

 

診察室の椅子に座ると 主治医は開口一番「すぐ入院して」

私は何も準備していないと言うと では明日からと 看護師さんに指示を出した 

説明を受ける為立ち上がったが 私は肝心な事を忘れている事に気付き 再度座り直した 

「先生 家族に説明したいので病名を教えて下さい」

「え? 前の病院で聞いてないの?」 主治医は少し驚いた後 「あなたの病名はガンです」と言った 

まさかと思い「良性と悪性がありますけど....私のは」 先生は間髪いれずに答えた「悪性のガンでS状結腸癌です」

「...あの 私 全っ然痩せてませんけど?」 医師は呆れ顔で「最近は栄養価の高い食生活をする人が多いんだから 簡単には痩せませんよ」

 

別室で看護師さんから 書類をたくさん渡され 説明を受けながら 私は仕事と当時幼稚園児だった子供をどうするか 思案していた 

それから ひと気の無い広いロビーで 釈然としないまま会計を待った 

 

私の頭に ある再現ドラマのひとこまが浮かぶ 「炎のストッパー」といわれていたプロ野球の大投手津田恒美さん 体調に不安を感じ先輩に口にした言葉

「食べても食べても痩せるんです」 彼は32歳の時 脳腫瘍で亡くなった

私はその時まで 大病で身近な人を失った記憶がない「...痩せない事もあるんだ」

結局 自分の健康を過信し「たいした事ではない」と高を括っていたのだ 

 

 病院の駐車場の屋上に ポツンと一台残された自分の車に乗り込むと 私の頭に別の物語が浮かぶ 

 

妻が看護師と出て行くと 診察室に残された夫が 緊張の面持ちで主治医に尋ねる「先生 妻は...」

デスクの前のレントゲン写真を じっと見ていた医師が夫に向き直り 重い口を開いた 「ご主人 落ち着いて聞いて下さい 奥さんの病名は....ガンです」 

そして悲しげなBGM  

 

それにしても と思う 

「『病名はガンです』って 普通本人に言うか?....言うんだ....医学の進歩で不治の病じゃ無くなったって事かな」

起きている現実を認めて 私はようやく車を始動させた 

 

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その夜 夫の実家を訪ねて 入院中の子供の世話を義父母に頼んだ 

暗く重苦しい空気の中で義母は「子供が可哀想だ」と泣いた 

タイミングが悪い事にほんの10日前に 私達のマイホームを建てる契約を建設会社と交わしたばかりだった 

私の入院中に「この契約はキャンセルしようか」と涙ながらに話す夫を 

義父母は「お前がそんな弱気でどうするんだ」と励ました 

ずいぶん後になって そんな話を義姉から聞かされた 

病気の本人よりも 支える周囲の方が辛いということを 身に沁みて思い知らされた 

 

そんな周囲の心配をよそに 当の本人は「自分はここで終わらない」と強気だった 

根拠は両の掌にくっきりと刻まれた 「太く長い『生命線』」 ただ それだけ 

定年後も元気に働いていた『父親譲りの手相』だった

 

 日常の扉を開けて訪れ また日常の扉の向こうへ戻っていく外出着を着た見舞い客を 何度エレベーターホールで見送っただろう 

 

パジャマ姿で 点滴袋のぶら下がったカートをガラガラ引っ張って 

私は5階ホールの大きな窓から よく外を眺めた 

季節はいつもそっと近づいて 人を悦ばせる 

白く煙るように川岸に広がる 満開の桜並木が遠くに見えた 

毎年必ず守られる 季節の約束事 

 

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当たり前の事が当たり前にあることが 幸せなのだと気付く 

私は明るいガラス窓の向こうに広がる世界に 早く戻りたいと願った 

 

桜の咲く頃の遠い記憶