硝子の瞳と猫と

心温まる事 癒してくれるもの 綴っていきたいな

ひとりの正月

初めての子供が産まれた年 夫は郷里に転勤になった 

それからは 私の正月準備はお餅つきから始まるようになり 

家族総出で毎年6臼ついた 

晦日は来客に備えて 午前中にスーパーで山のように食料を買い込んだ後 

客間にたくさんの布団と電気毛布を出し 

居間にはこたつや大きなテーブルをくっつけるように並べる 

納戸から茶碗やお椀を運び出し広い ダイニングテーブルに置く 

午後から私と義母は 金色のアルミの大鍋に蕎麦だし 汁物を作り 

お寿司 煮物 酢の物等の調理に取りかかり 

台所は私の眼鏡が曇るくらい 湯気がたち籠る 

にわか旅館の営業開始だ 

 

 夕方からは 帰省した義姉夫婦 甥姪でとたんに賑やかになり 

紅白歌合戦が始まる頃には 私は宴会の切り盛りに追われる 

ビールの追加 ご飯ものを出すタイミングを見ながら 追加の料理やお茶を出す 

テレビを見ている暇もない 

 

それから夕食後は 大人数のトランプ大会が始まる 

「ババ抜き」「スピード」 

「大富豪」では「ババ持っている人 早う出さんと上がちゃうよ~」の声に

すかさず テーブル中央のカードの上に義母が自分の頭を持っていく

「出た! お決まりのギャグ」「そのババちゃうでー」と大笑い 

勝負が懸かると 皆性格丸出しになり 

ノンビリ屋 負けず嫌い 先読み策士 

年数回しか会うことのない 親族の人となりに触れられ楽しかった 

 

一日に三度の食事 三度のコーヒータイム 

皆に手伝ってもらいながらも 作っては片付けの繰り返しで 正月三が日が終わる 

 あの頃は たまには何もせず一人でノンビリした正月を 送りたいなと思っていた 

 

 やがて子供の成長と共に 義姉夫婦の帰省の期間も短くなり 

義父が亡くなってからは 日帰り帰省となった 

その頃には甥や姪は皆成人していた 

 

私の実家は県外の為 帰省はお盆とお正月を外した連休だったが 

父に次いで2017年に兄が亡くなり 一人暮らしになった母とお正月を迎える為 

年末に一人実家に帰った 

 

二人分の細やかな買い物 小さな鍋で温めた年越しそばを二人で食べて 

のんびり紅白歌合戦を見た 

実家で年末年始を過ごすのは 私が嫁いでから初めてのことだった 

足の悪い母を家に残して 久しぶりに実家の氏神様に初詣 

神社で長寿の御守りを買って帰ると 母は喜んで部屋の目立つ場所に吊り下げた

入院手術を拒否した母は 大動脈瘤という爆弾を抱えたまま 

家で暮らす事を選んだ 

長い付き合いのご近所さん 組内のお年寄り 

昔ながらの人情が残る この地を離れられないのだ  

 

去年の秋 母は大腿骨を骨折して入院した為 

今年は 私一人実家で年末年始を過ごした 

もうこのまま退院は出来ないと 医師から告げられ 

地元に住む従姉が 少しずつ家の片付けをしてくれていた 

 

私はもしもの時のため 「遺影用」の写真を選ぶことにした 

歳を取った母の 正面から撮られた写真も 笑った顔も少なかった 

微笑んだ顔は 何故か悲しげにみえる 

晦日の夜が更ける頃 ようやく選んだ3枚の写真を封筒に仕舞った

 

 今年の正月も 長寿の御守りを買って病院に持って行くと 

母は喜んでベッドの柵に吊り下げ 

「暖かくなったら 家に帰って庭の椿が見たい」 

遠くを見やるように ポツンと呟いた  

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通りから家一軒奥に入った 陽当たりの悪い家 

昼間でも 穴蔵のように暗い居間に 横になる

 

これが昔 私がたまにはと望んでいた『一人の正月』

 「おはよう」    ...

「ただいま」    ...

「いただきます」  ...

「おやすみなさい」  ...

 ここにあるのは 『独りの正月』

 

私は一緒に連れて来た 小さな市松人形に声をかけた 

母は仏壇の遺影にでも 話かけていたのだろうか 

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 この家を愛してやまない主が 突然居なくなり 呼吸を止めてしまった 木造の古家

冷えた家の中で 血の通う者は自分一人だけ

 

「我が家でひっそり息をひきとる」 「病院で誰かに看取られる」 

この究極の選択で 母はどちらを選んだだろう? 

多分選んだのは前者 現実は後者だった 

コロナの影響で 二ヶ月も懐かしい人の訪いがなかった母は 

実の娘以上に自分を支えてくれた姪に 最期に会えて どんなに嬉しかっただろう 

 

母が亡くなり この夏 私は両親が苦労して建てた家を解体した 

私が実家で年末年始を過ごす事は もう永久に失くなってしまった