硝子の瞳と猫と

心温まる事 癒してくれるもの 綴っていきたいな

母の誇り

 実家を解体する時 処分に時間のかかるものは分解、分別の必要なものだ

例えば家では台所の食品の他 梅酒が8㍑リカー瓶に15本、まむし焼酎3本、頂き物のお酒も数本 開かない蓋に穴を開けて捨てた 

昔は自宅で冠婚葬祭など行っていたせいか 恐ろしい程大量の食器を含む台所用品が出てきた 

不用品を金属、プラスチック、陶磁器、燃えるものに分け入れて袋に収集日の日にちメモを貼る 

強力な助っ人の従姉妹と二人でやっても全然かたずかない 

押し入れ、納戸、タンス中身を出せば出す程部屋がゴミで溢れその惨状に従姉妹と共に心が折れそうになった 

プロに頼めば楽で早いんだろう でも物の一つ一つに向き合えたのは良かったと思う 

兄と私のへその緒 私のお宮参りの着物 修学旅行のお土産 高校時代友人からの誕生日プレゼント  

 

そして時間が止まってしまうセピア色の古い写真の数々   

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父の実家 人手に渡って今は墓所となっている / 祖母以外誰かもわからない写真

 

その中で目に留まったのは一枚の写真 

裏には「兄たちに送るため」「私15才」「馬は奥山号」と書かれていた母の写真 

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長男が復員後 奥山号を売って酪農を始め母の実家は現在もブランド牛乳生産している

 

写真を見ているうち 母がよくをこぼしていた愚痴話を思い出した 

8人兄姉の7番目 父が早くに亡くなって貧しくて小さな頃から「子守り」として他所の家を数年の間転々とした 

ようやく生まれた家に戻ると 姉達は嫁ぎ 兄達は養子、戦争 病気で亡くなっていて自分が畑仕事に駆り出され母にこき使われた 

酷い母親だとよく恨み言を言っていた 

「奥山号」は畑仕事の為に譲り受けた軍馬で おとなしくて賢い馬だったそうだ 

その後戦地から復員してきた父親代わりの長男が 女手だけで山も田畑も人手に渡らなかった事に驚いて 

「田一枚手放さずよう頑張ってくれた」と誉めてくれたことがずっと母の誇りだった 

「この家を建てるとき兄(あに)さんが山の木を切って お金と一緒に届けてくれた」そう言っていつも家の柱を撫でていた 

大切な柱が壊されるのを空の上から見て母は泣いたかな 

8番目に浄土に駆けつけた母が 懐かしい兄姉弟皆に慰められている姿を思い浮かべてみる

 

セピア色の時代から時が過ぎて

あの藁葺き屋根がスレートに変わり 家の前でバドミントンをして遊んだのは本家の従姉妹と私

そして母達の立っていた所には 今 牛舎やミルクタンクが建っている

今は従兄弟夫婦とその次男家族が あの家で幸せに暮らしている

山も田畑もそのままに