ふらりと気軽に立ち寄れる近場ではないのだが 氏神詣でに行ってきた
閉塞感 情緒不安定が頭をもたげると気分転換に足を運ぶ
家も自然は多いが ここは穏やかな静寂が辺りを包む
森とした杉や桧に囲まれた神社の苔むした石段を登り ひと気のない境内をゆっくり散策する
約1300年前に建立されてから 人は長きに渡って何に感謝し何を願ったのだろう
私は神の存在を信じるがそれは宗教ではない ぼんやりとした自分の信仰心
偶然読書中に 当てはまる記述を見つけた
浅田次郎著書「神坐す山の物語」にある短編「天井裏の春子」から
「外国から渡来した神仏には、愛だの慈悲だのという人間性があるのだが、
日本古来の神は超然としており、ひたすら畏怖すべき存在である。
そうした意味では、一概に宗教とは言えまい。
私たちは未知なる自然や神秘なる現象を総括して、固有の神とした。
長い歴史の中で、預言者の出現すら許さなかった、怖ろしい神である。」
この一文を読んだときストンと腑に落ちた
私は八百万の神 民俗信仰の土着の神こそ崇め奉りたい神だと思った
何によって心の安穏を得られるかは人それぞれ 自由に選択すればいい
その何かに出会えるかも 神の采配なんかじゃない 自分の心次第だ
最近有名人の自殺報道が続いている
「死にたい」と思ったとき それを打ち明けられる人があなたにはいるだろうか?
私は誰にも言えない それでも 何とかやり過ごして生きているのは
多分 私は恵まれてるんだろう「生き運」とやらに
人のためにやるべき事がまだ有るって事だ