硝子の瞳と猫と

心温まる事 癒してくれるもの 綴っていきたいな

萌える春

4月も中旬に差し掛かり

桜の見頃は 過ぎてしまった

 

花の短い命を惜しむように

桜の周りで忙しない

蜂の羽音が 聞こえる

新しい命を 育む活動が始まるのは

やはり 春が相応しい

タンポポと菜の花の種』

 

枯れ木に花を咲かせたのは 花咲か爺さん

枯れ木に新芽を芽吹かせるのは 自然の采配

 

若芽色 萌黄色 若草色

まるで花が咲いたようだ

常緑樹の濃い緑色との

グラデーションが美しい

 

瑞々しい新芽は

希望に満ちた若人ようで

その初々しさが羨ましい



8日の月曜日 出勤途上で

入学式に向かう親子を 見かけた

桜の花が 散り積もった小道を

母親と手をつないで 

弾むように歩く 女の子の背には 

淡い桜色の ランドセル

横に並んで歩く 幼い妹を抱いた父親が

新1年生の姉に 何やら笑顔で話しかけていた

 

眩いばかりの 幸せそうな光景に

しばし停車して

親子の後ろ姿を 見送っていた

 

 

長く慣れ親しんでいるからだけど

新生活のスタートは

やはり 春が相応しい

 

 

 

 

 

 

白ではなく緑だった

ここ1~2ヶ月前からだろうか

目の調子が悪いと 思い始めたのは

 

目視検査という 眼を使う仕事の上に

帰宅してからは 「はてなブログ」等のSNS 三昧

眼を しっかり休めなかったからだろうか

眼鏡のレンズに 僅かな汚れが付いた時のように

左目に 曇りのようなものを感じ始めた

 

職場の人に話してみると

「それは白内障だよ」と 言う

その人は 手術したら

よく見えるようになったようで

私が受診予定の眼科は 腕の良い先生と

太鼓判を押してくれた

 

3月の終わりの木曜日に受診

初めは 視力検査からだった

アルファベットの Cみたいな図形を使うやつだ

右目が終了して 左目の検査を始めて

私は 今までの視力検査では

経験したことが無い 異変を感じた

 

それまで示されて 見えていたC状の図形が

検査用の眼鏡レンズの

度数を上げてセットされても

途中から 見えなくなった

Cがぼんやりした円形どころか

アルファベットの XかSを

太い線と細い線で 殴り書きしたように見えたのだ

『不味いことになった』

事の深刻さに 愕然とした

 

後日「眼底検査」と「視野検査」で

左右とも 緑内障と診断された

左目は白内障も有るが

視野に影響はない程度なので

曇りの原因は 緑内障の視野欠損の症状だった

私は生涯 眼圧を下げる薬を

点眼し続けなければならなくなった

 

現在の医学では 緑内障は完治しない怖い病

治療法は「進行を遅らせる」以外 手がない

 

『まさか自分が...』と いうのは

思いもよらず病に罹った時の 呟き

しかし 病には前兆はあるものだ

「身近に 罹患した人が居ない」

「これくらい大丈夫」

高を括らない事が 大切だと

臍を噛む思いだった

 

眼科の医師からは 検査の仕事を続けても

影響がないと 言われたけれど

左目が僅かでも曇った状態は

やはり 疲れてしまう

ただ 不幸中の幸いで

現在 仕事は暇な状態なので

様子見しながら 出勤している

 

本や新聞を読む時は 

左右同等の視力になるように

眼と紙面の距離で 調整し

ブログ購読は 文字を拡大して読んでいる

 

症状の出ていない右目に

負担が掛からぬように

読書時間を 減しているので

はてなブログ」の記事を 読み飛ばしたり

はてブコメント」を 省略することもあると思いますが

ご容赦願います

 

たとえ 遠い未来だとしても

『光を失う日が来る』のは

『生きる希望を失う』と 同じような気がした

 

 

それでも 今はまだ 両眼で見えている

私を取り巻く 美しい世界が観える

 

この幸せが  一日でも長く続くよう

努力するのみだ

治療新薬の誕生を信じて

 

 

 

 

 

母とは なんと悲しいものか

その日 投稿記事の参考にしようと

本棚から 一冊の本を抜き出した

ページをめくっていたら

新聞の切り抜きが 挟んであった

 

朝日新聞「声」に 掲載されたものだろう

私の目にも バス停からしょんぼりと引き返す

母親の姿が浮かび

切ない話だと 思った

 

何故この切り抜きが 本に挟んであったのか

不可解な思いで 再読している途中で

はっと 思い出した

「これは私の母のことだ」

 

父が亡くなった2年後に

同居していた独り身の兄が 亡くなり

80代の母は 一人暮らしになった

 

ご近所の方が 惣菜やお菓子を持って

親戚の方は 取立ての野菜を車に積んで

時折 訪ねて来て下さった

 

訪問介護をしている 従姉妹は

時間とやる事に 縛りがなく

自由に出来るからと

ヘルパー契約を 固辞して

仕事の合間に 母の様子を見に寄ってくれていた

 

 

県外に住む私は

月に一度 週末に帰省した

母と丸一日 一緒に過ごす為

必要な買い物以外の 外出は控えた

 

短い時間でも 一緒に居ると気が付く

私が毎日かける 安否確認の電話で

母が話す 身の回りの話は

娘に心配をかけない為の 優しい嘘が

織り混ぜて有ることに

沢山の人に助けて頂いていることに

 

最終日 帰り支度を済ませ

膝に不安を抱えた母に

「もう ここでいいよ」と

玄関で別れを告げるが

旗竿地に建つ 実家から

家一軒分 細い路地を抜け

必ず道路まで 付いてきて

緩い上り坂を歩き始めた私に 手を振る

私は曲がり角で振り向いて もう一度

母に大きく手を振って 別れを告げる

 

あの新聞の投稿文は その頃に切り抜いたものだ

帰省のフェリーで 読んでいた文庫本に 挟んだのは

「母の淋しさを 忘れない」為だった

 

周囲の人達に助けられ いつも感謝の言葉を

口にしていた母は 4年前に亡くなった 

 

 

私も母の淋しさを 身をもって知る日も

そう遠くはないだろう

 

 

 

 

 

 

過疎地域

夫宛に 母校の小学校から一通の封書が届いた

小学校卒業証書授与式の ご案内だった

毎年卒業50周年に当たるOBに 送られるようで

同期会の案内も 添付されていた

 

在校生直筆のお手紙も 同封されていて

子供の書いたお手紙を 久しぶり読んだ

一生懸命に考えた文面が

可愛らしくて 心が和んだ

 

3月22日 卒業式当日は 巣立ちを祝うような晴天だった

在校生35名 うち卒業生は8名

来賓として出席したOBは 13名

静かで 厳かな式だったようだ

 

夫が小学生だった頃は 1学年2クラスで70数人

息子の頃は 1学年1クラスで21人

縦割りクラスの様に 全校生徒が顔見知り

親も然り

 

過疎地域ならではの 濃いお付き合いが

煩わしかったり

心強かったりもする

 

若い人が戻らない町は 寂れる一方だ

私が近所で 子供の声を聞いたのは

いつのことだったかさえ 思い出せない



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

落ち葉が消えて 春

午前5時半に家を出た 週末の「祠参り」

往路の途中までは まだ暗く懐中電灯が必要だ

今日は菜の花をお供えしてみようと

園芸バサミを持参して 歩いていた

 

暗い中 花を探して気が付いた

『道路が綺麗になっている』

先週まで道の左右にあった 

帯状に延びる 溜まった落ち葉が

綺麗さっぱり無くなっている

 

湿った落ち葉の層に 

草や蔦が 根を張っている場所もあったのだが

根こそぎ薙ぎ払われている

 

『これは どこまで続くのだろう』と思っていたら

驚いたことに 頂上の駐車場まで

道路上はもちろん 大量の落葉で

グレーチングが浮き上がる溝や

細い側溝も 清掃されていて

今まで隠れていた 白い路側帯も表れた

[麓から頂上まで1~5で区分け / 別の道は未着手]

 

これから土筆が出てくる所

夏にオカトラノオキンミズヒキが咲く所が

埋もれてしまっていたが

春夏秋冬一巡りで また元に戻るに違いない

 

復路の下り坂で 落葉のふかふかした

足に優しい道を 歩けなくなったのは残念だが

車で訪れる 花見客やキャンパーにとっては

安全で快適な道になった

 

祠に 夜明けが訪れる

頭上に 足元に

橙色の光が 真っ直ぐに届く

夜明けが早くなった

 

 

ここから見上げる空は ひび割れたような青空

冬の名残も消え失せて もう春の空色だ

 

 

 

春だなぁ

梅の開花も 盛りを過ぎたら 

菜の花やミモザが 咲き誇り

先日はモンシロチョウを 見かけた

『春だなぁ』

 

 

枯れ葉に埋もれた地面から

繋がれた 「ウバユリ」の生命

瑞々しい新芽が顔を覗かせる

『春だなぁ』

[種が落ちた後のウバユリ↑]

[ウバユリの新芽 / 夏の開花  ]

 

 

「春眠暁を覚えず」とは 君たちの事

『春だなぁ』 

 

 

 

 

だから幸せ

チーの朝散歩 夜明けを迎えるのが好きだ

 

山際は蜜柑色 その上は光を帯びた空色が広がる

そのグラデーションが 美しい

何が起きても 夜は明ける

 

街に出掛けた帰り道 夕暮れの空が観えた

山際は葡萄色 その上は薄墨を流した空色に紺藍色が続く

やがて 濃藍色に染まった空には

黄色い三日月が 浮かぶだろう

何はなくとも 日は暮れる

 

今日もありきたりな一日が 終わる

見上げれば そこに月がある

それが 幸せだと思う